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😢2006 脳症発症

このブログには2006年の脳症発症から2013年の記事が掲載されています。月別アーカイブより、遡ってご覧ください。

なお、現在のHPは
http://pulcinokids.com

です。

脳症の経緯の簡単な
まとめ⬇

4月5日の発症から10月までの様態の変化です。

■4・5 
突然汗を噴出し、じきに意識もうろう、眠そうにあくびをし、眠るような感じになる。近くの病院についたら、顔面蒼白、意識なし、抱き上げたら力が入ってなかった。呼吸が浅く、危ない状態で、すぐに救急車で救命救急病院へ。到着後すぐに呼吸停止。瞳孔も開き、ケイレンが続いた。とにかく汗を出していた。脳のCTにも腫れも見られず、血液検査にも異常がでず、髄膜にも異常なし。あまりに急で衰弱していたため点滴も静脈のみ、原因不明で命も危ないと言われた1晩を過ごす。

■4・6~4日間 
ヘリコプターで大学病院へ搬送され、急性脳症と診断。そのころには脳に腫れが出てきていた。少し目をあけて手足を動かした雄君を最後に、体温を34度に保ち低体温療法をICU内で行った。その間の面会は1日2回だけ。それ以外の時間がとても長かった。ママは終日病院に泊まりこみ。なかなか夜は寝られなかった。
低体温治療の合併症などなく、無事に終了。
1日1度づつ体温を戻す。

■4・14・・・体温が戻る
体温も戻り眠り薬でずっと眠らせていたのをやめて、雄君の状態を検査した。脳のMRIでは、大脳がかなりの範囲で破壊されていた。低体温治療の甲斐もなく、脳症の影響はかなりの広範囲に及んでしまっていました。脳全体も腫れ上がっていて、腫れ止めの薬はずっと続くようでした。
あまりにも破壊が大きかったので、雄君は歩けないかもしれない、動けないかもしれない、自分で息が出来るのかもわからないと告げられました。

■4・16・・・戻して2日目
自発呼吸し始める。担当の先生が息を切らせて知らせに来てくださいました。号泣してしまいました。急性脳症になる以前は母乳を飲んでいたので、入院中ずっと搾って冷凍パックしていて、この日この時間から母乳をあげはじめた!偶然かもしれないけれど、ママの愛情が伝わったと思っている!徐々に手足の緊張が出てきた。酸素は投与したまま。
目は開かず眠ったまま。たんが多く、肺炎になりかけたがなんとか持ちこたえる。

■4・18
容態も安定してきたので、自宅近くの総合病院へヘリコプターで転院。ママも一緒にヘリコプターに乗りました。全然揺れず快適でした。天気もよくて、空も青く、今起きている出来事がうそのように感じました。

■4・19
気管切開手術 無事終了。これまでの期間ずっとICUにいました。

■4・20より一般病棟へ
やっと2週間ぶりに雄君と過ごせるようになりました。起きているか、寝ているか、目もつむったままなので、心拍数だけがそれを教えてくれていました。

2,3日たつと、手が動くようになりました。左右同時にオールをこぐような動き。足はとにかく緊張が強く、うんちをすると股が開けれないし、棒のように硬くて大変でした。足のつま先はバレリーナのようにつんとなっていました。それから泣くようになりました。目はつむったままでしたが、起きると泣いたようになり、精神的にも不安定な感じで、不快なのか、泣いて泣いてそれによって1日に何度も頻繁に熱を出していました。38度台。
酸素は投与されたまま。手足の緊張は強く、体が1本の棒のよう。
栄養は経口カテーテルにより注入。1日6回に分けて480mlラコール。リハビリは毎日先生が病室にきてくれました。

■4・28 
4・5以来抱っこが出来ないほど、管や点滴をしていたため、はじめて手足の点滴が取れたので、体重を量るために、はじめて抱っこした。その瞬間右目が開いた!ママは号泣した。

■5月はじめ 
このころまで母乳を搾ってとっていたけど、もうでなくなった。

■5・7軽い肺炎になる(院内感染っぽい)
緑色のたんを噴出していたのでレントゲンをとると、うっすら肺に影が見られた。また点滴開始。それから1週間昼夜逆転、しかも昼間でも何時間も続けては寝られず、夜中は30分くらいしか寝ず、ずっと泣いて泣いていたので抱っこしたりさすってみたり大変だった。ママの疲れもピークに。このころ左目もうっすら開き始める

■5・14くらいから夜眠り薬を使って昼夜逆転を治そうと試みた。
長くて5時間くらい寝る日も出てきた。やっとママも夜中寝れるようになった。
このころには両目がはっきり開くようになる。
手足の緊張はまだ強い。ケイレンはずっとなし。とにかく泣いている。
特に知らない人が部屋に入ってくるだけでその声に反応してとにかく泣いていました。
経口カテーテルより注入。体重が増加したため、1日4回400mlのラコールになる。ソリタも400ml追加。すぐ汗をかいてしまうので水分補給のためと、お腹の満腹感を感じてもらうため。1回の注入に100mlを1時間かけて行うため、そのそばから消化してしまい、すぐにお腹がすいたように泣くので、満腹感を感じていなのかなと先生にお願いする。

■5・20ごろ
お口からはじめて食べる。鼻からカメラを入れて気管の弁が機能しているのかをチェックし、とろみをつけたソリタを一口あげたら食べてくれた。
1ヶ月半以上モノを食べていなかったら、普通は食べることを忘れてしまうようで、口にものを入れても異物だと思って出してしまうらしいのに、雄君は最初からパクリと食べてくれた→毎日口の中を綺麗に洗浄(歯磨きのような)のをしていて、それを必死になめる動作をしていたから、忘れてなかったようです!良かった!おやつ程度にお口から食べる時間を1日2回作ってもらった。最初は看護師さんに付き合ってもらい1口1口から始めた。
最初の1口食べたとき、目が輝いていた!

赤ちゃんの離乳食用の粉を使い、果汁の粉をとかし、それにとろみをつけてあげた。もも、みかん、ミックスを飲んだ。そのうち、凍らして食べる棒のチューチューにとろみをつけてあげた。ブドウ、みかんは食べたが、りんごはあんまりだった。一番のお気に入りは離乳食の粉のかぼちゃ+プリンはよく食べた。おかゆ、野菜スープ、コーンポタージュなどは食べなかった。

■6月
6月に入ると、市販のダノンヨーグルトとかとろけるプリンを好んで食べた。毎日売店で買ってくるのが楽しみだった。外にお散歩の許可を得る。30分くらい川沿いを歩いていた。外にいるとご機嫌だった。
このころ、外にでると、まぶしい~と目を細めるようになった。小さい範囲だけど、瞳孔が動き始める。

■6月はじめ・・・検査
退院前検査がはじまりました。脳波、MRI、血液検査などを行いました。結果はとても悲惨なもので、MRIでは大脳の全壊、脳波にもほとんど反応がありませんでした。脳の腫れが引いた、引かないという状態ではなく、脳がびろびろに伸びて液体のように垂れているような感じでした。
雄君が食べたり、知らない人の声に反応し泣いたり、手が動いたり・・・ということが出来るというのを説明できないというほど、データでは最悪な状態でした。脳がそこまで壊れてしまったら、たいていケイレンがあるのに、全くないし、今現在の雄君の快復は奇跡だと言われました。

■6・10外泊 2泊3日から 
このころから酸素投与がなくなる。でもまだ寝ようとうとうとすると酸素が下がる日々。そのたび酸素を入れたり、息をするように体をゆすったりたたいたりしていた。

以後毎週末外泊を3回繰り返す。
徐々に体の緊張が緩んできていた。棒だったからだが腰から曲がるようになり、ひざの上に抱っこできるまでになった。
まだ関節の緊張はかなり強いし、緊張が入ると反ってしまってすごい力なんです。でも抱っこすると落ち着いてくれるので、ママの手が腱鞘炎になりました。

■7・10退院 
■7・11咳がとまらず、酸素量も不安定で病院に行く。
咳止めをもらい、なんとか落ち着く
7月中は昼夜逆転したり、寝る時間がまちまち。
2週間に1度の通院。

■8月はじめ 哺乳瓶でヤクルトなどを飲めるようになる。
まだ昼夜逆転ぎみで、1週間単位で少しづつづれてしまっていた。
酸素がさがるようなことがなくなる。

■8月終わり 1ヶ月に1回の通院となる。
経口カテーテル交換を自宅で週に1回の間隔で替えるようになる。
足に動きが出てきた。曲げたり伸ばしたり一人でしている。

■9月はじめ 12時間くらい続けて寝れるようになってきた。夜中に寝れるようになった。起きてる時間はずっと抱っこ。何かを食べている。

■9月半ば おにぎりや野菜の煮物なども口に出来るようになる。
朝昼晩とお口から食べ、経口カテーテルからは1日1回100mlのみ。
眠らせる薬は相変わらずずっと使用。一日に14時間くらい寝れるようになる。心拍と酸素量のセンサーを使わなくなってきた。

■10月はじめ 手のひらの緊張が和らぐ

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Category: é›„君の日記 総合
Published on: Tue,  24 2017 00:40
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